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前胸腺刺激ホルモン(PTTH)(6)

 私が卒論研究として最初に従事した「カイコPTTHの生物検定法」を紹介したいと思う。専門でない人も多いと思うので、「生物検定」の説明から始めて、「PTTHの生物検定法」を解説するとともに裏話を紹介したい。

 「生物検定」とは、「生物活性がある物質を、生物を用いて検出する方法」であり、英語でバイオアッセイと呼ばれる。純粋な物質があれば、その物質の物理化学的性質に基づいた機器分析などで、物質を検出し濃度を測定することができる。一方、純粋な物質が得られていない場合や分析機器では超微量で測定できない場合などは、生物の反応を指標に物質を検出、定量することがある。この生物を用いた物質の検出・定量法を生物検定(バイオアッセイ)と呼ぶ。
 ホルモンの場合、その検定試料中に含まれているホルモンに対する生物反応を見ることでホルモンが含まれているかどうかを、また希釈してどこまで反応があるかで、含まれているホルモン量を定量することができる。 PTTHを精製するための生物検定法では、様々な方法で分離した画分のうちどの分画に全体のどのくらいの活性物質(PTTH)が含まれているかを検出し、その精製法によってPTTHがどのくらい回収されたかを知る必要がある。回収率が悪い精製法を用いると精製が進むにつれてPTTHがどんどん少なくなるからである。回収率が50%の方法を3段階行うとPTTHは約10%になってしまう。

 PTTHを検出する生物検定法として、当時3つが考案されていた。

  1. 除脳幼虫に注射して幼虫脱皮を起こすかどうかを指標とする生物検定法「幼虫アッセイ」
  2. 左右一対ある前胸腺を培地中に取り出し、一方を培地のみ(コントロール)で、もう一方を検定試料を添加した培地中で培養し、一定時間の間に分泌されたエクジソン量をラジオイムノアッセイ法で測定する生物検定法「前胸腺アッセイ」
  3. 除脳蛹に注射して成虫化を起こすかどうかを指標にする生物検定法「除脳蛹アッセイ」

 最初に利用しようとしたのは、1.の「幼虫アッセイ」であった。この方法は1977年に前胸腺刺激ホルモン(5)に登場したRiddiford教授らによって、タバコスズメガ幼虫を用いて確立された。この方法をカイコに応用しようとした。幼虫を炭酸ガスで麻酔し、頭部にカミソリで切れ目を作り、その切れ目からピンセットで脳を摘出し、切れ目を元に戻して歯科用ワックスで塞ぐ。昆虫は脳が神経系の中枢ではなく、各体節にある神経球に機能が分散しているために脳を摘出してもしばらく生存することができる。ただし、餌をとることができなくなるので1週間ぐらいで衰弱死してしまう。この除脳幼虫に検定試料を注射して幼虫脱皮を起こすかどうかでPTTH活性があるかどうかを判定するのである。試料中にPTTHが含まれていれば、前胸腺に作用して脱皮ホルモン(エクジソン)が分泌され幼虫脱皮が起きるという原理である。
 この除脳幼虫を用いるPTTH生物検定法は、周りの気管などを傷つけないで脳を摘出できるようになるために技術的な習得が必要であったが、それよりも脳の摘出時期が早すぎるとPTTHを含む検定試料(例えば脳抽出物)を注射しても全く反応しなかったり、遅すぎると(生体内でPTTHが分泌されているため)注射の有無にかかわらず全て幼虫脱皮する、という問題に直面した。人間にとっては「4齢脱皮後3日目の12時間経過したカイコ」であっても、カイコにとっては「PTTH分泌1日以上前でまだPTTHに反応しない前胸腺をもつ個体(本来のPTTH分泌の約6-12時間前でないとPTTHに反応しない)」であったり、「既にPTTHが分泌され、前胸腺からのエクジソン合成・分泌が活性化されていて、PTTHが注射されなくても脱皮する個体」であったりする。ともかく、カイコの成長を厳密にコントロール(推察)して、適切な時期の幼虫を用いないとPTTH生物検定法にならないのである。
 幼虫の体重を数時間毎に計測(そのために発売当初の精密電子天秤を購入)してカイコの成長時期を確実に推察しようとしたが、問題は解決しなかった。飼育条件(湿度や光周期など)によって体内状況が大きく異なり、体重など見かけだけでは成長状態(PTTH分泌予定時期)が分からないのである。幼虫を脱皮後何日目何時間の個体であると定義するのは人間の勝手であり、虫にとっては違う時間軸で成長しているということである。もう一つ覚えているのは、200匹近くを除脳し、検定試料を注射して、1日後に活性を判定しようと夕方飼育室に行ったら、200匹全部が茶色く変色して死んでいたこともあった。検定試料を溶かした溶液に細菌が繁殖していたのだ。ということで、いろいろと試行錯誤したが、この生物検定法は諦めることにした。 

 次に(ほぼ同時期に)試したのは、2.の「前胸腺アッセイ」である。前胸腺刺激ホルモン(5)で登場したGilbert教授とBollenbacher博士らのグループが開発した方法である。前胸腺刺激を直接的にみることができる画期的な方法として当時もてはやされたが、PTTHを精製する際の生物検定法としては不向きであった。顕微鏡下で左右の前胸腺を傷つけないで取り出すためには、かなりの技術的トレーニングがいる。また、どんなに上達しても5-10分で1対の前胸腺を取り出すのが限界で、顕微鏡を見続けられる限界の3時間やっても50匹は処理できなかった。さらに、培養直後に培養液をラジオイムノアッセイに供し、2日間かけてエクジソン量を測定するのだが、放射性物質を使うこともあり特別な施設内で緊張感がある作業になる。「1時間で何サンプル分の解剖ができるのだから、1日6時間、週2日やれば、何サンプルこなせるだろう」という計算をしてくれた人がいて腹が立った。これ以外にカイコを飼育する必要があるのだ。カイコの日々の成長任せで、実験日程をほぼ立てられないのである。ただ、蛹になった直後の前胸腺からのエクジソン分泌量は左右でよく揃い、試料を加えたものとコントロールの差をきちんと検出することができた。最初に「前胸腺アッセイ」の結果が出た時はPTTH活性が明確に検出されていてうれしかった。ただし、この方法の最大の欠点は、PTTH精製過程で使用する塩(えん)やpHなどの影響を大きく受けることである。ともかく、この方法は神経を使う作業が続くことと、作業がかなり煩雑なために、精製のための生物検定法としては不向きであった。

 最終的に、PTTH精製のための生物検定法には3.の「除脳蛹アッセイ」を用いたが、これについては、別の歴史的な裏話もあるので、次の機会に紹介したい。
 今回紹介した2つの生物検定法を用いてPTTHを精製しようとしたことは、論文や学会では発表していないし、講義でもほとんど紹介していない。知っているのは当時の研究室の関係者少数だけだと思う。その人達も多分忘れているだろうと思うが、私はPTTHの構造を決めたことと同じくらい鮮明に記憶している。成功体験も大切であるが、若い頃の(失敗)経験は重要で、それを体験・学ぶことで研究者として成長していくのだと思う。私をペプチド化学屋だと思っている人が多いが、実は、化学が分かる虫屋なのだ。

図1 カイコ幼虫の頭胸部の解剖写真
図1 カイコ幼虫の頭胸部の解剖写真
図2 カイコ除脳幼虫を用いたPTTH生物検定法(1981年卒論より)
図2 カイコ除脳幼虫を用いたPTTH生物検定法(1981年卒論より)
図3 カイコ前胸腺培養法を用いたPTTHの生物検定法(1981年卒論より)
図3 カイコ前胸腺培養法を用いたPTTHの生物検定法(1981年卒論より)
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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌 農学博士
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職

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