今回は「PTTHが昆虫種間で交差活性を示さない」ことから起きた研究裏話を紹介したい。ちょっと長くなるが、勘弁してもらいたい。
昆虫は200万種とも言われ、動物のなかで群を抜いて種が多い。「地球は昆虫の惑星」と言われるゆえんである。昆虫の生活様式が多様であるように研究者の好みも多様であり、様々な昆虫を研究対象にした研究者が世の中にはいる。
蝶や蛾の仲間は鱗翅目昆虫と呼ばれるが、なかでも、カイコとタバコスズメガは、1970年~1990年代のホルモン研究の中心であった。日本ではカイコを、アメリカではタバコスズメガを実験材料に研究が進められていた。私は両方を使って研究を進めたが、この2種類の昆虫はPTTH研究でライバル関係にあったと言ってもよい。
活性型カイコPTTHを大腸菌で合成できるようになってから、サンプル供与依頼が国外から多数寄せられるようになった。ある日、タバコスズメガPTTHを精力的に研究していたノースキャロライナ大学のGilbert教授(昆虫生理学分野の大御所)からも供与依頼が来た。早速送ったが、タバコスズメガにPTTH活性を示さなかったことから、カイコPTTHは偽物であり、タバコスズメガから精製中のものが本物のPTTHだと主張してきた。また、その一門のBollenbacher博士はカイコPTTHとほぼ同じ(99%一致する)配列の遺伝子がタバコスズメガにも存在することを論文発表した。これらのことから、欧米の多くの研究者がカイコPTTHは偽物だと思うようになった。大御所の意見というのは影響力が大きい。
そこで、カイコPTTHの研究成果を世の中に認めてもらうためにも、タバコスズメガPTTHの構造を明らかにしたいと考えて、羽化ホルモン研究でライバルであったTruman教授へ熱烈な手紙を書いた。Truman教授の奥さんであり、PTTH研究にも強い関心を持っていたRiddiford教授と共同研究を行うことになった。数年後に、タバコスズメガからカイコPTTHと弱い相同性がある遺伝子をクローニングし、活性型PTTHを大腸菌で合成することに成功した。その途中で、Gilbert教授がその噂を聞きつけ、今度はタバコスズメガPTTHの供与と生理機能に関する共同研究の提案をしてきた。Riddiford教授との関係もあり悩んだが、Riddiford教授の了承もあったので共同研究を了承し、その後成果を発表した。彼は論文の早期公表を強引に迫り、結果的にRiddiford教授との共同研究の成果より前の公表になってしまった。
今ではカイコPTTHの相同ペプチドが、全て(?)の昆虫のPTTHであることを疑う研究者はいない。では、なぜカイコPTTHが本物でないとの批判を受け、タバコスズメガPTTH研究が混乱したのか、私の経験と推察を元に考察したい。
種が近いほどペプチドホルモンのアミノ酸配列の相同性は高い。例えば、同じ哺乳類のヒトとブタのインスリン(51残基のペプチド)のアミノ酸配列はたった1残基違うだけである。同じ鱗翅目昆虫間で、これまで明らかになったペプチドホルモンの相同性はいずれも80%以上であり、互いに交差活性が認められる。また、エクジソンや幼若ホルモンなど昆虫の脱皮・変態に関わる基本的なホルモンは昆虫種間で少し構造が違う場合もあるが、いずれも活性を示す。したがって、PTTHのような脱皮・変態を最上位で制御するペプチドホルモンは、昆虫種間(少なくとも鱗翅目昆虫間)でアミノ酸配列もよく似ていて、当然交差活性を示すと考えられていた。ところが、カイコPTTHの構造(遺伝子配列)が明らかになった当時、様々な昆虫から相同遺伝子としてPTTHをクローニング(ホモロジークローニングと称される)しようとしたが、いずれの研究者も成功しなかった。その理由は、昆虫種間でPTTHのアミノ酸配列(遺伝子の塩基配列)の相同性が予想外に低く(50%以下)、ホモロジークローニングができなかったためである。ただし、そのことが分かったのは、カイコPTTH遺伝子と弱い相同性を示す遺伝子をエリサン、タバコスズメガ、ヨトウガなどの鱗翅目昆虫からクローニングし、大腸菌などを用いてホモダイマー型活性ペプチドを合成して活性を調べられるようになってからである。
また、Bollenbacher博士がカイコPTTHとほぼ同じ配列の遺伝子をタバコスズメガからクローニングしたのは、私たちが送ったカイコPTTH遺伝子(ホモロジークローニングのために供与した)がコンタミ(汚染)して、PCRで増幅されたためだと思われる。
この件で、常識(通説)に振り回されないで、自分たちの実験結果を大事にすることを知ったし、大御所のわがまま勝手な(業績を可能な限り我がものにする)態度を見て反面教師にしたいと思った。なお、晩年のGilbert教授は学会などで会うと親しそうに話しかけてきた(写真)が、オコナー教授たちのPTTH受容体の論文発表(Gilbert教授も共著者)の際、(嫌がらせメールを送りつけられ)また嫌な思いをした。自分に逆らった私への最後の嫌がらせだったと思う。
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