アメリカZoecon Research Institute に留学当初、私に課せられた「構造決定すべきターゲット」は 羽化ホルモン (EH)と 利尿ホルモン (DH)の2つのペプチドホルモンであった。EHの構造決定については、priorityをめぐる熾烈な競争があったことを紹介した。もう一方のDHの構造決定については、「神様がご褒美をくれた」例として紹介したい。
羽化後の鱗翅目昆虫は飛翔のために体重を減らす必要がある。一方、蛹期は何も摂取しないため、乾燥に耐えるために水分をできるだけ保持しておく必要がある。そのために、蛹から成虫へ羽化後に、一気に体内の余分な水分を尿として排泄させる必要がある。また、生き物にとって体内の水分を常に一定範囲に保つ必要があり、利尿現象は水分の恒常性維持の観点からも重要である。昆虫についても数多くの研究者が 利尿ホルモン (DH)の実体を明らかにしようと精製を試みていたが、構造を明らかにすることに成功していなかった。
私たちは、タバコスズメガの羽化直前の蛹頭部(脳がホルモンの産生器官)を材料に、モンシロチョウの羽化直後の利尿を促進する物質の精製を行った。材料は、 羽化ホルモン (EH)の精製に用いたものと同じで、EH精製のサイドフラクションにDH活性が認められた。1つの材料から2つのペプチドホルモンを精製し構造決定できたわけで、実に効率が良い研究でもあった。
精製を進めると複数の画分に利尿活性が認められたが、そのうちのメジャーな活性画分から単一なペプチドとしてDHを精製することができた。アミノ酸配列分析装置にかけると、40残基のアミノ酸配列が明らかとなった。さらに、トリプシンで分解した断片ペプチドの配列分析やペプチド合成などにより、DHはカルボキシル末端がアミド化された41残基のペプチドであることが明らかとなった。
世界で初めて昆虫のDHの構造を明らかにしたわけで、priorityも高く、質の高い雑誌(インパクトファクターが高い雑誌)に掲載できると期待できたが、さらにおまけが付いた。DHのアミノ酸配列をコンピュータで検索させたところ、哺乳類、両生類や魚類で見つけられていたコルチコトロピン放出因子(CRF)類と相同性があることが分かったのである。余談だが、1987年当時はコンピュータでタンパク質(ペプチド)の相同性検索ができるようになったばかりで、1時間以上かけて検索結果が送られてきた(今では1分以内)。哺乳類のホルモンと相同性があると一般研究者の興味も引きやすくなり、質の高い雑誌に論文が受理されやすくなるのである。結果的に、権威あるアメリカ科学院紀要(PNAS)に短期間の論文審査で受理された。私は昆虫の利尿ホルモン(DH)の構造を明らかにしただけだが、世の中は「昆虫にもCRF相同ペプチドが存在し、それが昆虫では利尿作用を示す」ことに興味を示したのである。まさに、「神様がご褒美をくれた」のである。