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2023年を振り返って(1)

 もうすぐ退職する2024年になろうとしている。その前に2023年を振り返っておきたい。

目次

父の逝去

 2023年で最も大きかったことは、9月に父親が亡くなったことだ。父は農家の8人兄弟の七男で、20才前後で片岡家(足袋屋)の養子になったと聞いている。私が生まれた頃には足袋屋は廃業していて、建物(工場)が残っていただけである。私の小学校、中学校時代に建物を徐々に解体し、しだいに勉強部屋や庭に変わっていった。その実家も2018年の西日本豪雨で浸水し、解体して更地になった。数年前に隣3軒分がまとまって売却した。もう一軒、祖父母が住んでいた家が更地になって近くに残っている。
 2002年2月に母が急逝してから父は祖父母の家で一人暮らしであったが、2016年1月に手術してからは実家近くの施設に入った。どうもその頃から認知症を発症していたようで、そんな折りに集中豪雨にあったのだが、具体的な話をすることはなかった。その後、中庄の施設に移り平穏な日々を暮らしていた。施設に入った当初は温泉に連れて行ったり、民泊で一緒に過ごしたりしていたが、身体がだんだん弱ってきて外出が難しくなった。それに追い打ちをかけたのが、コロナ禍である。2019年9月に会ったのを最後に、2021年10月まで2年間施設での面会が禁止になった。また、2021年1月には私が小脳梗塞で入院した。この2年間で老いは進み、車椅子生活になっていた。その後も機会を見つけて見舞ったが、徐々に生気がなくなっていくのが見てとれた。
 今年の4月初めと9月初めには施設内にある病院に入院した。回復できないかもしれないという知らせがあり慌てて見舞いに出かけた。ところが、4月の入院は一週間ほどで食事を取れるまで回復した。戦前生まれの生命力の高さに脱帽した。しかし、9月の入院はそうはいかず、点滴で何とか生命を維持している状態で元の居室に戻った。ベッドでほとんど眠っていて、口をきくこともなくなっていた。
 亡くなる前日に危篤との知らせを受けて帰郷したが、2週間前と変わらないように見えた。施設のゲストルームに泊まり、夜遅くまで、また朝早くから父の居室で過ごした。亡くなったのは翌日昼過ぎで、中庄駅近くに昼食に出かけていた時だった。私に死の瞬間を見せたくなかったのだと思う。悲しみ(涙を流すこと)はなかった。10月に四十九日の法要をとりおこない、先日「喪中はがき」を出して一区切りついた気がする。

背景

高校と小学校の同期会

 今年は同期会をいくつも企画した。父の見舞いに帰郷するだけでは気持ちが暗くなるので、帰郷の際は高校の友達数名を誘って一杯やっていた。その友達の提案があり、4月に高校の同期会を企画した。コロナ禍が落ち着いて初めての飲み会ということで、高校の同期20名あまりが地元総社に集まった。なぜか東京から3名が駆けつけてくれた。これに味をしめて9月にも高校の同期会を倉敷で行った。さらに、翌日には小学校の同窓会を企画した。小学校の同級生の多くとは40年ぶりの再会であった。私が蝶集めに夢中であったことなどで話が盛り上がり、幼い日々のことを思い出してともかく楽しかった。
 父が亡くなったことで、帰郷の機会がこれからはほぼないだろう。もう地元で同窓会を企画することはないし、企画されても体調の問題があり参加しないだろうと今は思っている。そう思いながら、12月に東京で高校の同期会を企画して楽しんだ。

美観地区
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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌 農学博士
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職

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