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無題 途中から「研究費(3)」

 この原稿を書き始めたのは2025年1月3日であり、書き終えたのは1月8日である。さらに、文章の追加・修正や図の準備、自力でのアップのためにしばらく時間がかかった。いつもは書きたい内容を考えて、まず仮のタイトルをつけてから文章を書き始める。その途中で「落ち」を考えて、最終的なタイトルを決める、というやり方をとっている。今年初めての記事はこのやり方を変えて、「無題」というタイトルで書き始めて、出来上がったものを見てからタイトルを決めた。


 昨年末に書いた「羽化ホルモン(EH)(2) -C末端までの構造決定-」のすごさを理解してくれるのは世界中で5人くらいの年配者だけではないかと思っている。でも「研究者なんて自己満足の集団だ」と考えている自分がいる。「研究者も税金を使って研究しているのだから、日本国民や人類のために役立つ研究をやるべきだ」とか、反対に「純粋な興味を大切にして、目先にとらわれず、役に立たなくても基礎研究を思う存分やってほしい」と言われる。「そんなこと他人に言われたくない。大きなお世話だ。自分がやりたいようにやる」と思って研究を行ってきたし、それをやるために研究費も獲得し続けてきた。時には研究目的とその内容をきっちりと決められた研究費をもらったこともある。自分の考えと少しでも合致すれば良いが、研究を進めることに苦痛を感じるものもあった。研究費の出資元から「お金を出したのはうちなのだから、言われたとおりにやれ」と言われ、「なら、自分でやったらどうですか?」と言い返したこともある。研究者にはそのくらいの自尊心が必要だと思っている。


 ある省庁の大型予算(年間3〜5千万円)を2009年から5年間もらった。それまで10回近く申請したが、ヒアリング(書類審査の結果をもとに採択予定課題数のおよそ倍の課題に対して、審査員の前で口頭発表する2段階目の審査)にも回らなかった。不採択の度に、様々な研究者に分担者をお願いして、研究内容やタイトルを「手を替え、品を替え」申請書を書いたが、いずれもダメだった。その前年の書類審査の評価があまりにも悪く、その年は申請意欲がわかず、気がつくと申請〆切まで1週間しか残っていなかった。しかも修士論文審査会でそのうちの3日間は昼間拘束されるという状況だった。ところが、ふと「昆虫脱皮ホルモン合成系に着目した昆虫発育制御剤の探索(最初はタイトルが違ったと思う)」という内容の研究を思いついた。大型研究費の場合は申請書の分量が多く、一ヶ月以上、場合によっては半年かけて分担者などと相談しながら準備するのだが、その余裕はないので、分担者なしの単独申請することにして、どこまでやれるか分からない(申請書を完成できないかもしれない)が申請書を書くことにした。修士論文審査会中も発表を聞きながら、思いつくまま凄い勢いで手書きの原稿を書いた。隣に座っていた先生は(発表のメモを取っていると思ったようで)その集中ぶりに驚いたようだった。原稿を夜コンピュータに入力しながら加筆・修正を加えて、次の日の朝に学生へ指示してそれに合わせた図を作ってもらい、何度かそのやり取りをして何とか〆切に間に合い申請できた。あとで見直すと、予算案の数値が一部三桁間違ったものになっていた。こんな短期間で集中して申請書作りをしたのは初めてだった。読み返すと、流れが統一されていて、粗削りだが読みやすい申請書だった。時間をかけてパートごとに申請書を書くと、どうしても統一感がなくなり、継ぎはぎのような印象をもつことが多い(審査員として申請書を初めて読んだ時に感じる)。やはり申請書は短期間に集中的して書いた方が良いと思った。と、ここまで書いて、その20年くらい前に恩師鈴木昭憲先生から「始めたばかりで、ほとんど知識がない研究内容について200万円くらいの研究費申請書を明日までに書くように」と夕方言われたことがあったことを思い出した。ほぼ徹夜で仕上げたが、この申請も採択された。文章は凝ってなくて読みやすく、単純で分かりやすい内容(知識が少ないので仕方がない)だった気がする。この経験が大型予算の申請で生きたと思っている。それを良いことに、申請書書きのスタートがどんどん遅くなる癖がついたような気がする。できるなら時間的に余裕がある時にまず一度書いて修正を何度か加え、しばらくそのままにして、もう一度一気に白紙から書くのが良いと今は思っている。ただ、そのやり方をこれまでやったことはないし、もうその機会はない。さすがに一週間で一発勝負の高額申請書を書くのは無謀だし、審査員にも失礼だ。


 後輩の研究者に伝えることがあるとすれば、研究費ほしさに、はやりの研究手法に目を奪われたり、逆に自分の経験とやり方だけに固執すると、申請はまず採択されないと思う。「堂々とやっていればそのうち研究費獲得の道が開ける」と信じることが大切である。そのためには落ちても落ちても申請書を書き続ける必要がある。審査員の多くは複数の研究費の審査をしており、何度も似たような申請書を読んでいるうちに、研究内容や意義が少し理解できて「一度やらせてみるか」と考える。ただし、丸写しの申請書を見せられると、その研究者のやる気のなさを感じ、「こんな奴に研究費を出すべきではない」ということになる。個人的な印象であるが、たぶん多くの審査員が感じていることだと思う。

学生に作ってもらった研究費申請書中の研究構想イメージ図(2009年2月)
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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌                 東京大学名誉教授(農学博士)                
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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