かなり前だが、2024年9月14日に父の一周忌を郷里である倉敷市真備町で営んだ。法要は、息子夫婦3組と孫ひとりの7名というこぢんまりとしたものだった。暑さも和らぎ季節も良くなるだろうと思って、その前後に妻と旅行を楽しむことにした。日記のような文章で申し訳ないが、書き残しておく。
初日は、9月なのに猛暑のなか空路岡山に到着した。レンタカーで宇野港まで向かいフェリーで直島へ渡った。直島は宇野港から20分ほどと近く、「アートの島」として近年売り出しており一度訪問したいと思っていた。中国からの団体客や欧米の個人旅行者など、平日なのに乗船客がかなり多いのに驚いた。港が近づくと「赤いかぼちゃ」のオブジェが出迎えてくれ、ちょっと離れた海岸には別のオブジェ「直島パヴィリオン」が見えた。昼食は駐車場を探している途中で見つけた「SPARKY’S Coffee」で日替わりランチを食べた。外国人旅行者が多いのでこんなおしゃれな店もあるのだろう。島内をレンタカーで回ったが、意外に広くアップダウンもかなりあった。レンタサイクルはきつそうで、電動サイクルかバイクで巡ることを勧める。歩く必要がある観光は妻に任せて、私はレンタカーの中で涼しく過ごし、滞在4時間ほどで宇野港へ戻り、鷲羽山近くのホテルに宿泊した。高台にあり、眼下に下津井漁港と瀬戸内海の絶景が広がっていた。ゆっくりと美術(館)鑑賞をするには直島に宿泊するのが良いかもしれない。
2日目は、前日歩きすぎて壊れた妻の靴の応急処置をお願いしたいと思い、倉敷駅近くのエビス商店街で、従兄弟の均ちゃんが経営しているY靴店を40年ぶりに突然訪問した。子供の頃はよく父母に連れられて、また大学生の頃は帰省する途中で立ち寄って、はやりの靴を格安で買ったことを覚えている。奥さんと娘さんが店番をしていて、均ちゃんが3年前に亡くなったと聞き驚いた。娘さんはコロナ禍前に、おばあさん(父の姉)を連れて何度か父の施設を訪問してくれたそうだ。父は末っ子で、直ぐ上のおばさんとは仲が良かった。施設にいた頃の父は耳が遠く、既に認知症気味だったので会話にならない会話を二人で楽しんだのだろう。そのあと、父の実家へ従姉妹(父と同じ年代で、跡取り娘が私の2つ下)の弔問のために伺った。一週間ほど前に「一周忌で帰省するので訪問したい」と連絡したら数日前に亡くなったと聞いた。10年くらい前に東京の自宅に父と一緒に数日宿泊して東京観光をしたことがあり、旬の時期に名物のタケノコを毎年送ってくれていたので、家族は「タケノコのおばさん」と呼んでいた。世代がひとつ進んだことを痛感した一日だった。その夜は総社で妻とともに高校の同期4人と楽しく飲みあかし、完全に酔っ払ってしまった。
3日目の一周忌は、葬儀が入ったため住職が早々に引き上げたこともあり、短時間でつつがなく終わった。山の上にある墓参りが大変になったことから、墓の改葬について兄弟で少し相談して(後日談を含めて別の記事にする予定)、我々夫婦は早々に次の目的地である湯原温泉へ向かった。3年前と同じ宿に宿泊したが、何かのイベントがあって温泉街は混んでいた。妻がイベント見物に出かけている間も私は宿でゆっくり過ごした。
4日目は、55年前に父とヒョウモンチョウをたくさん採った「鏡ヶ成スキー場」と、7月に小学校の同級生と訪れた「桝水高原(天空のリフト)」を観光した。その後、途中の新庄村で「新庄ししメン(イノシシのチャーシューが入った味噌ラーメン)」を昼食に食べ、予定通りの飛行機で帰京した。イノシシのチャーシューは無茶苦茶「しわかった」。
父の一周忌のための帰省だったが、それ以外のことに大半の時間を使った。ただ、父ゆかりの「均ちゃん」や「タケノコのおばさん」とも関係したのだから、父の法要にふさわしい帰省だったと思っている。実は、「まび蝶復活プロジェクト 2070」の相談のため7月にも帰省していて、母方の実家の墓を従兄弟(と従姉妹)たちと10年ぶりにお参りした。今年は、先祖やゆかりの人を尋ね、自分の生い立ちを振り返る年なのかもしれない。