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その場限りの言い訳

 学位審査のような科学的議論をする場合も「言い訳をして、その場をやり過ごせば良い」との考え方がはびこってきたように感じていた。「思いつきでも、人の考えであっても、持ち時間分説明さえすれば良い」とも考えているようだ。学位審査会で延々と研究目的・目標を話した学生に、「あなたが説明してくれた研究目標を登山の頂上だとしたら、あなたが行った実験でどのあたりまで登ったと思いますか?」と尋ねたら、間髪入れず「9合目です」と答えた学生がいた。思わず「そんな認識しか持てないなら、学位に相当しないかもね。登山口にも立っていないと思いますよ。」と言いたくなったが、我慢した。

 なぜそんなことになるのか? 国会の議論を聞いていると分かる気がした。質問する方も、答弁する方も自分(達)の宣伝の場と考えているようで、質問する側は、世間受けする言葉を使って刺激的な質問をする。答弁側は曖昧で適当な答えに終始して、会話がかみ合っていないことなど全く気にしない。その場限りで答弁時間をこなせば良いのか、官僚が作った説明を繰り返す。
 その昔、小学校や中学校の学級(クラス)会では、問題点を指摘するだけでなく、建設的な意見を出して、良い意見であれば取り入れるという姿勢だった気がする。つまり、自分の意見を取り下げても、より良い結論に導こうとみんなで努力していたように思う。話し合い(議論)とはそういうものではないだろうか? 原案に難癖をつけるだけだったり、原案をむやみに守ることに執着していないか?

 国会放送を見ていると、「国会議論ではなく、国会劇場ではないか」と思ってしまう。
 政府は保険証をマイナ保険証へ一元化しようとしているが、「マイナンバーカードの所有は任意」のために、従来の保険証を廃止したら新たに「資格確認書」なるものを発行するという。「資格確認書を発行・送付する経費や手間を考えると、従来の保険証をそのまま使えるようにした方が良い」と野党は主張する。しかし、政府がその主張を認めると、野党は「保険証廃止案を一旦法制化したのに、すぐに修正・廃止するとは朝令暮改ではないか。政策決定がいい加減だ」と今度は責任追及するように思う。

 私は、この4月に健康保険を「任意継続組合員」へ身分変更する際に、組合員番号が変わった。そのため、従来の保険証やマイナ保険証は使えなくなり、「資格取得証明書」を発行してもらった。この「資格取得証明書」は家族あたり1枚で、妻と私が同日(同時)に別の医療機関にかかることができず不便だった。また、「資格取得証明書」は書留速達便で送られてきたため郵送料も高かった。さらに、4月末に「資格取得証明書」の返却を要求された。有効期限も終わることからシュレッダー処理で良いのではないかと申し出たが、書留速達で新しい保険証が郵送された時に切手を貼った返信用封筒が同封されていたので返送した。何とも無駄な労力と経費を使うものだ。返却した「資格取得証明書」は今どこかに保管されているのだろうか? そもそも「マイナ保険証」が当初の説明通りに4月1日から使えていれば、無駄な経費も手間もかからず、嫌な思いもしないですんだと思う。

 「その場限りの言い訳」、「権威を守るための対応」や「従来の慣習」を止められないのかと思ってしまう。私も現役の時は過去の慣習や経緯を大切にしていたが、謙虚に意見を聞いて原案を修正したこともたくさんあったと思っているのだが。

その場限りの言い訳
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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌 農学博士
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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