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しつけと教育


 まだしばらくブログ書きは休もうと思っているが、最近別のところに書いた記事を添削したのでこちらでも紹介する。

 私は元大学教員なので教育者のひとりと言えるのだろう。私は現役の時は研究者としては及第点をもらえるが、教育者としては失格だと考えていた。ところが、退職前後から教育者としても十分及第点をもらえるのではないかと思えるようになった。理由は簡単で、自分より教育者とは思えない大学教員が増えてきたからだ。

 何が原因なのかしばらく考えていたが、ひとつの原因として彼らの世代は単独(もしくは少数)からしか教育を受けなかったためではないかと思うようになった。私達の世代は大学の研究室では教授、助教授、助手2〜3人の4人以上の教員に囲まれ、研究室内外の多くの先輩からも厳しく教育を受けたと思っている。私の周りにはかなりあくが強い、よく言えば個性的な人が多かった。反発しながらも良いところは見習い、反面教師としても見てきた気がする。

 一方、私は両親からは公共性を大事にするようにと厳しく教育された。母親は手を挙げることもあった。また、小さい頃(3才くらいだった記憶もある)から母親の実家など親戚の家にひとりで数週間預けられることも多く、様々な個性(感性や正義感)を持った人達がいることを知った。その経験からどこでもどんな人とでもうまく関係を作る(相手の意見をきちんと聞いたうえで、自分の考えを主張する)ことができるようになったと思っている。

 一ヶ月ほど前に久しぶりに公共交通機関を使って移動したが、「子どもが公共の場(空港や駅、乗り物内)でいくら騒いで他人に迷惑をかけていても叱らない親御さん」の姿を度々見て愕然とした。私は就学前の子どものしつけがその子にとって一番大切だと思っている。(虐待との非難を受けても)愛情を持って少し手をあげることが許されるのは親だけだ。

 多くの教師や先輩などと関係を持ち、その人達から様々な教育を受けることがひとりの人間がきちんと育つには必要だと私は考える。そのための教育システムを作ることが小中高校や大学でも急務だと思う。ただ、学校でしっかりとした教育を受けるためには就学前に両親がしつけておかないと身につかないような気がする。

 国の将来を考える時、子供達の教育が礎であることは間違いない。

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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌                 東京大学名誉教授(農学博士)                
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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