「入試問題はその大学や学科・専攻がどんな学生に入学してほしいか、それを示すメッセージである」と私は考えている。したがって、過去問をきちんと勉強することは、合格へ向けた第一歩であり、入学後の学びの場として適切かどうかを判断するのにも役立つ。試験問題(過去問)に違和感や嫌悪感を感じた場合は入学や(受験)を止めた方が良い。その問題を作った先生からその後教育を受けることになるからだ。
「入試-3」では、私が約50年前に大学受験した時の経験を3つ紹介する。私の受験は現役の時だけだが戦績は2勝2敗1分け、1棄権であった。
受験した私大のひとつの受験科目に「世界史」があったが、私は「世界史」の授業を受けていたが受験勉強はしていなかった。受験前に過去問に目を通したが、「世界史」での得点は無理だと諦めて、残りの科目(特に数学)で高得点を取るという作戦にした。「世界史」の試験問題は過去問と同じく全て4択問題であったが、滅茶苦茶マニアックな問題で、下手に問題を読んで正解を探すより、完全ランダムで期待値25点を狙う方が良いとさえ思った。出題者はそれぞれ自分の専門研究分野の出題をしたのではないかと思う。結果は「補欠合格(1分け)」であった。ところが、数ヶ月後に入試問題漏洩事件が発覚した。報道によると、合計点が高くないのに「世界史」だけ95点以上の高得点で合格した学生が数名いることが発覚して調査した。その結果、入試問題が保管場所から盗まれ、受験生へ漏洩していたことが判明したとのことだった。あの問題で90点以上、いや70点以上取ることは世界史を得意にしている受験生にとってもほぼ不可能だと思った。それにしても、そんな問題を入試に出題した出題者および出題委員会はどんな学生に入学してほしかったのだろう? 高い専門知識をもった学生がほしかったのだろうか? 私は入学しなくて良かったと思っている。私が受験したのは共通一次試験が始まる2年前で、東大は独自の一次試験を行い、合格者のみ二次試験を受けることができた。私は実力テストの成績があまり良くなかったので、せめて次の年のために二次試験を受験したいと思っていた。一次試験は、英語、数学、国語に加えて、理科2科目、社会2科目であった。二次試験は、英語、数学、国語に加えて、理科2科目であった。つまり、社会2科目は一次試験だけに必要な科目であり、「最終的に東大に合格できる実力があれば、社会2科目の点数は0点でも一次試験はパスできる」と受験情報誌などで見ていた。社会は世界史、日本史、地理、公民のうち、決められた問題数をその場で選んで答える形式であった。科目独自の問題というより融合したような問題もいくつかあり、幅広い知識をもとに解答させる設問だったと記憶がある。3年生になってほとんど社会科目を勉強していなかった(高校3年間で世界史、日本史、地理、公民の全ての授業を受けていた)私にも設問の趣旨が分かり、解答するのが楽しい問題であった。無事一次試験に合格して二次試験を受けることができた。東大がどんな学生を望んでいるか、少し分かった気がした。
二次試験では「どの科目も50点を目指す。たとえ何科目か失敗しても、一科目でも高得点できれば合計点でクリアーできるので、部分点を少しでも上乗せすることを狙って最後まで諦めない」を心に決めていた。受験まで年明けの2ヶ月は、過去問を一科目ずつ制限時間内に解く訓練をほぼ毎夜した。その結果気がついたことは(1)各科目の設問形式は数年間ほとんど変わっていない。(2)数学は途中にハードルがいくつか設定されている。(3)数学や理科は正解だけでなく、途中の解き方も重視している(解答途中段階を記述することで部分点が期待できる)気がする。などを感じた。
ところが、最初の科目「国語」で、それまで長文を読んで「要約」することを求めていた問題が「感想と意見」を書く設問に変わっていた。解答用紙の欄は(形式も分量も)例年と同じだったので、「要約」を書いた受験生もいただろうと想像する。数学は数II の範囲の知識で解ける問題ばかりで、数IIIが不得手な私には有利であった。しかも比較的易しくて出題者の意図(ハードル)も短時間で気づくこともできた。理科では「化学」で糖に関する計算問題が出された。整数の答えを4つの小問で答えられたので満点だと思った。ところが、合格後最初の小問で誤って2倍の数値を答えていて、以降の答えも全て正解の2倍の数値になっていることを知った。結果は合格だったので合計点でクリアーできたことしか分からないが、「化学の糖」の問題は、小問1が不正解、小問2〜4は部分点ないし正解として扱われたのではないかと想像している。また、国語の変更は「注意力を試された」と思った。数学については、ともかくラッキーだったと感じた。実力が不十分でも合格できる時はこんなものなのかもしれないが、実力以上の力が出せたのではなく、実力を最大限発揮できたと考えている。
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入学試験で合格を出すことは「その大学、学科・専攻で勉強して良い」と能力を認め、許可したわけで「卒業まで教育する責任が大学、学科・専攻にある」と私は考えている。不合格になった時は、その大学の学科や専攻で学ぶことが「自分にとってふさわしくない」ということであって、自分に能力がないと考える必要はないと思っている。私の戦績の2敗1棄権はいずれも医学部だった。私にはどうも「医師」という職業が向いていなかったのだろうと今は思っている。
そんな気持ちで受験に臨んでほしい。自分に相応しいところが必ず見つかるはずだ。
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ひとりの東大教員の思い出と経験「入試-3」
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