東京大学を退職して半年が経った。20日ほど前に、帰省した三男から「そろそろ退職後の生活に飽きてきたのではないか?」と聞かれたが、「ぜんぜん!」と答えた。勤務先に出勤しない日が半年も続くと、どうも普通の人は飽きるようだが、私はダラダラとした今の生活が気に入っている。元々怠け者なのだろう。
4月には「日本農学賞の授賞式」、7月には「研究室の祝賀会」とイベントもあり、準備などに忙しくも楽しい時間を過ごした。また、八王子、名古屋、長野・伊那などいろいろなところを訪問して懐かしい蝶にも再会できたし、自宅のベランダで花や食草を育てながら蝶の訪問や幼虫を育てる楽しさも味わっている。気ままだが、充実した生活を送っている。
7月24日に「名誉教授記授与式」があり、久しぶりに勤務先であった柏キャンパスへ足を運んだ。名誉教授記授与が「大学人すごろく」の「上がり」なのだと思った。満足でも不満でもなく、ただ「やっとゴールした」と感じた。では、「振り出し」は一体いつだったのだろうか? 東大教員としてスタートの助手になった時か? 東大に合格した時か? はたまた昆虫少年だった小学生の時か? いろいろ思いを巡らせた結果「受験勉強に明け暮れた総社高校入学」時だったのではないかと思った。研究者という職業に憧れ、東大生になることを目指して受験勉強に励んだ。ともかく学業成績が重視される暗黒の高校生活であった。ところが最近、その時の同期生と会いたくなり、機会あるごとにいろいろなメンバーと同期会を行っている。今月も忘年会を兼ねた同期会を東京で企画中である。分かれて50年近く経ち、全く違う世界で生きてきたのだが、(些細なエピソードを思い出しながら)暗黒時代の昔話をするのが楽しい。年をとった証拠だろう。多感な時期に「一緒に受験戦争を戦った戦友」のような感覚だと思っている。
今は必死になって努力する姿を見せるのは格好悪いそうだが、「人生すごろく」の途中で「時間の限り、力の限り、馬鹿になって努力する」ことも必要な気がする。私は高校時代、ただがむしゃらに勉強したように思う。その後も、どう考えても無駄なエネルギーを使いながらも「すごろくの駒」を進めた。そんな努力に対するご褒美が「東京大学名誉教授の称号」なのかもしれない。