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再生の道公認候補予定者シリーズ「大学院教育と若手教員」

 まずはこのホームページの別の記事でも紹介した、日本農芸化学会の学会誌に最近執筆した 巻頭言「定年退職した.あとは後進に託す!」に目を通してもらいたい。

 この巻頭言を見たある大学の先生から「私も2024年3月末をもって、大学を定年退職いたしました。先生の巻頭言を興味深く拝読させていただきました。あまりにも変化した大学や学生に対する私の意見は先生と全く同じです。最後まで教育現場で孤軍奮闘してまいりましたが、時代の流れには逆らえませんでした。」とのメールをもらった。つまり、これが東京大学のみならず、現在の大学や大学院の現状だと思った。

 少し前から社会人コースやリスキリングで大学院へ入学する人も増えてきたので、大学院生が研究者を目指す学生ばかりではない。ここでは私が大学院生だった頃と同じく将来研究者を目指した大学院生と若手教員についての意見であることを最初に断っておく。

 私は30年前の大学院重点化の時に、助手から助教授に昇進した。さらにその5年後に柏キャンパスに新研究科(大学院)が設置される時に助教授から教授に昇進した。私は5年ほどのうちに、助手から教授のポジションを得たことになる。その間、研究室以外の学生にも研究アドバイスをしたし、学科や専攻の様々な研究以外の業務もこなした。

 教授になってからも、直ぐに研究系長や専攻長などの管理職を経験し、研究室の運営とともに、教務関係の規則などの下書きを書き続けた。それが大学教員としての役目の一つだと思っていた。ところが、ある時期から若手教員は、自分の研究以外を「雑務」だと考えて嫌がるようになった。その考え方が学生にも伝わり、自分の研究以外には興味をもたず、コスパやタイパを重視するようになった気がする。そのころから大学院生の研究能力が落ちてきたように感じる。自分の研究に集中しない学生は修了さえおぼつかないが、他の学生の研究に興味をもたない学生はあまり伸びなかったような気がする。

 自分の研究がしっかり実行でき、自分の研究グループ以外の学生の研究にも興味をもつ若手教員が育つことが、我が国の科学研究のレベルを維持するために必要だと思うのは私だけだろうか? できれば「雑務」もそれなりにこなしてもらえると有り難いのだが。

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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌                 東京大学名誉教授(農学博士)                
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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