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マスコミ報道とネット記事

 「私はテレビっ子」の記事でマスコミ批判を書いたが、もう少し書きたいことがある。昨年後半から米価上昇を問題にした報道が続いていたが、備蓄米を放出して米価格が下降気味になった途端に、今度は価格が下がると米農家の経営に悪影響が出るとの報道に一気に傾いた。次に米価格が十分下がらないと再び政府の政策を批判する。日々対策に苦労している方々への思いやりもなく、自分たちが正義だと言わんばかりのマスコミの態度に辟易とする。日本の農業や農地に起きている問題点を地道な取材で掘り下げる努力はせず、街中の不満をインタビューして報道することに何の意味があるのだろうか? チャンネルを替えても同じようなものしか聞こえてこない。勝手に正義感を振り回して、お手軽な番組作りしかできなくなったマスコミは必要ないように思う。

 では、SNSをはじめとするネット記事が正しい情報を伝えていているかと言えばそうでもない。

 選挙時に初めてXとかYouTubeへ投稿を行なったり、知らない人が私に関するものを投稿していた。「閲覧数」や「いいね!」や、肯定的なコメントが増えると、まるで自分が注目を浴びていて、偉くなったような気分になった。さらに、頻繁にエゴサーチしたためなのか、目にするネット記事が自分を肯定するものだらけになることも経験した。時々批判的なコメントがあるのだが、それに対しては寄ってたかって叩くのも見た。

 半年ほど前から「ヤフコメ」(ある人は便所の落書きと言っていた)に時々コメントを投稿している。その場に同調的な意見を書くと「共感した」や「なるほど」がたくさん付き気分が良くなる。逆に反論的だと「うーん」だけが増えちょっと嫌な思いをすることも知った。人は単純だ。その場に逆らうような本音の意見を書いて、それに対するコメントを楽しんだこともあった。「アンチは出ていけ」「学がない奴はこれだから困る(これには笑った)」というコメントを見た時、自分と同じ意見を持つ人達だけで対話を楽しみ、反対意見には耳を傾けないという態度に怖さを感じた。ともかく、SNSなどのコミュニティーは、仲良しクラブか井戸端会議なのだと感じた。これでは、聞こえが良い扇動的かつ短絡的な意見に流されるのは無理がない。これが現代社会なのかもしれない。

 昨夜、石破首相の退陣記者会見がテレビで中継されていた。質問の中で「石破首相、本当にお疲れ様でした」と労ってから質問した記者がいた。それが妙にすがすがしく感じたのは私だけだろうか?

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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌                 東京大学名誉教授(農学博士)                
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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