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ウィキペディアとネット発信者のモラル

 2025年7月29日の『徒然なるままに「雑感 その1」』で少し紹介したが、「ウィキペディア(Wikipedia)」の記事でなぜそこまで不愉快に思ったのか詳しい経緯を説明したい。

 数年前に自分の名前を検索していたら「ウィキペディア」のページを見つけ、それをクリックしてみると長文で書かれた自分の記事があった。その内容はどう考えても一般の人には理解できない研究業績やどうかと思う個人情報に関わることだらけで、いかがなものかと思った。一方で、「ウィキペディア」に載るほど自分も有名になったのかとも思った。そこで、自分の関係者の名前を何人か「ウィキペディア」内で検索したところ、ほとんどの人は載っておらず、載っていても簡単な経歴紹介くらいだった。ところが、そのうちのひとりN氏については、本人には関係ない不祥事の記述だらけであった。内部の人間かその関係者が書いたものとしか思えず、読んでいて気分が悪くなった。投稿者は自分の思いを発散できたかもしれないが、N氏や記述された人への配慮が足りなさ過ぎる。匿名のためにこのようなことができるのだろうが、道徳的にたしなむべき行為だと思った。

 私とN氏の記載内容を修正したが、直ぐに元に戻すような再修正が行われた。私の項目については再度修正したところ、今度は再修正がほとんど行われなかった。さらに、選挙前に一般の多くの人の目に触れることが予想されたことから、内容をさらに簡潔に、また個人情報は最小限にする修正を行った。むやみな賞賛はカットして客観的な評価のみを残したつもりである。この時感じたのは、世間では権威があると考えている「ウィキペディア」の内容は、本人が宣伝のためや、敵意を持っている人が貶めるために記載することがあり、信じてはいけないということだった。

 ところが、選挙後に私の項目に落選の内容が書き加えられ、その際に執筆者の憶測に基づく記載が数多く加えられていた。また、必要以上に個人情報も記載されていた。特に、このホームページの記事を根拠にした記載には強い不快感を覚えた。ホームページなどの情報は発信者(管理者)がいつでも修正や削除できる。私は記事を読み直すたびに文章を添削しているし、後援会が発信していたXやYouTubeは6月末で全て削除してもらった。「ウィキペディア」も本人からの依頼による「削除要請」には迅速に対応してほしいものだ。いかなる内容であっても公開することが社会の利益になるとの考えは少しは理解できるが、明らかに個人の不利益の方が大きい。私は、このホームページの「経歴・業績」から「ウィキペディア」項目を削除した。

 ホームページのブログ、X、YouTubeは小説のようなもので脚色があることや、いつでも修正・削除されると理解していないような気がする。これらが査読がある研究論文のような事実に基づいたものだと勘違いしているのかもしれない。これらの情報を元に「ウィキペディア」のような権威がありそうな記事が書かれていることにも問題を感じる。そういえば、このホームページの記事を元に「私の学歴と経歴の記事」がネットで公開されているものも見つけた。小学校、中学校、高校の校舎の写真はネット上にある現在のものだったし、私は山形へ行ったことはないのに家族と蝶採集に行ったことになっていた(山形ではなく、山梨だ)。そのくらいいい加減な記事がネット上に掲載され、架空の自分の姿が作りあげられていくことに恐怖を感じた。

 少し前に、アメリカで研究者をやっている教え子とメールのやり取りをしたが、研究に関わる内容でさえSNSでの発信は英語でも日本語でも中止したそうだ。トランプショックのためにアカデミア関係者へのヘイトが起きていて、危険回避のためだと聞いた。そういう意味では、自由な発信ができなくなることも問題だと思う。

 自由な表現を守るためにも、ネット発信者には高いモラルが求められるのではないだろうか。私も失格者かもしれないが。

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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌                 東京大学名誉教授(農学博士)                
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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