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ひとりの東大教員の思い出と経験「入試-2」

 季節外れにならないうちに、このタイトルで引き続き入試監督の思い出(経験)を紹介したい。その前に、私が受験生だった50年前の試験監督の先生の話を紹介する。その先生から入学後「英語」の授業を受けたし、私が助教授時代に副学長(当時は理系と文系の1名ずつであった)を務められた先生だった。なぜその先生を鮮明に記憶しているのか? 1日目の主任試験監督であり、2日目の主任試験監督とはかなり違うキャラクターの先生だったからだ。
 受験生も試験監督者も試験(説明)開始(30分くらい)前に入室して、受験生は定位置に着席する。しばらく筆記用具の準備や確認を行うが、互いに手持ち無沙汰で間が持たない時間ができる。そんな時いきなり大きな声で「はい、大きく深呼吸して。座ったまま両手を挙げて、背伸びして。次に首を回して。」と発言を始めたのだ。監督要領には定刻ごとの発言が示されていて、それ以外発言はしないようにと指示されている。その先生は要領にしたがった発言をする前に、少し大きな声で独り言を発せられたのだろう。ともかく、試験開始直前で緊張感が最高潮だったが、一瞬で少しほぐれたことを覚えている。普段通りの力を出せたことを感謝している。


 センター試験には、高校の校舎を利用することがあるが、教室は窓際まで席が目一杯あり、南側にカーテンが付いた窓があることが多いために、試験時間中に日光や受験生の熱気で室温が上昇し、生暖かくて息苦しさを感じるようになる。そのため、私は休憩時間に窓を開けて換気することにしていた。換気については何も指示がないが、他の教室との公平感が保たれているのだろうか?と思ったことがある。ただ、試験監督もそんな部屋に長時間滞在したくないので自己判断で許されると考えていた。
 試験監督をしていて切なくなるのは、体調を崩している受験生を見かけた時である。この季節はインフルエンザなどが流行っていて、試験時間が進むにつれ思考が低下し、机に突っ伏す学生もいた。休み時間に「大丈夫か?試験を継続できるか?」と声をかけたが、「一旦試験を受け始めると、途中でやめると残りの科目が0点になるのです」と言われた。センター試験では、試験を受け始めると(翌日も含めて)追試験が認められないことをその時初めて知った。念のため試験本部に「体調不調者がいること」を報告して他の試験監督と一緒に彼を見守った。1日目は何とか最後までもったが、2日目はどうだったのだろうか?


 試験途中で別室受験を希望した学生も何名かいたが、その扱いを巡り試験本部要員と言い争ったことがある。私が主任監督者、もう一人は試験監督が初めての事務方という二人体制の試験室だった。試験時間が半分ほど経った頃から、時折天井を仰ぎ、生あくびをする受験生を見つけた。吐き気もあるようなので、試験監督必需品ボックスに入っている嘔吐対応ビニール袋をもう一人の試験監督に持たせて、近くに立っているように指示した。隣の試験室の監督者に事情を伝えた上で、試験本部へ走って向かった。体調急変の受験者がいると助けを求めたが、「受験生に試験継続の意思があるかどうかまず確かめてください」とマニュアル通りに言われ、「問題は試験室で起きているのですよ。今試験室には監督者がひとりしか残っていない。すぐ応援に来るべきだ」と叫んで、試験室に戻った。体調を崩した受験生に「別室受験を希望するかどうか」確かめたところ希望した。そのため、答案用紙とともに、大量の参考書等が入った荷物と本人を教室外まで運んだが、助けに来た本部要員数名は試験室の外で待機し、教室内には入らず手伝ってくれなかった。試験本部要員のマニュアルには試験室には入ってはいけないとでも書いてあるのだろう。緊急事態の場合でも(受験生を守るために)臨機応変に対応するという考えが入試では通用しないことを知った。


 もう一件、試験開始の合図とともに手を挙げてトイレに行きたいと申し出た受験者がいた。試験時間中我慢できるかどうかギリギリまで悩んでいたのだろう。トイレで「みっともなくて済みません」と言われたので、「本当は口をきいてはいけないのだけれど。気にせず、頑張ってね。」と激励した。彼はその後頑張れただろうか?


 このように試験会場では、日常とは違う空気が流れ、試験監督も対応に苦慮することが多々起きる。ひとりひとりの受験者にとって一生がかかった勝負の場なので、ともかく普段の実力を少しでも発揮できるよう頑張ってもらいたいと願うばかりである。それをそっと見守るのが試験監督者なのだと退職前に気づいた。基本的に受験生のことを考えているので、何かあったら我慢せず手を挙げて試験監督に聞いてみたら良いと思う。

 また何かを思い出したら、紹介したい。

平成9年度東京大学入学試験(一般教育科目)の入試問題表紙(1997年)
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記事の執筆者と略歴

この記事の執筆者

片岡宏誌のホームページ 片岡 宏誌                 東京大学名誉教授(農学博士)                
                                               
1981年 東京大学 農学部 農芸化学科 卒業
1983年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 修士課程 修了
1986年東京大学 大学院農学系研究科 農芸化学専攻 博士課程 修了(農学博士)
1986年 Sandoz Crop Protection 社 Zoecon Research Institute(アメリカ・カリフォルニア州)ポストドクトラルフェロー
1988年 日本学術振興会 特別研究員(東京大学)
1988年 東京大学 農学部 助手
1994年 東京大学 農学部 助教授
1999年 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授
2024年 東京大学 定年退職
2024年 東京大学 名誉教授

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