このホームページの記事も100タイトルを超えた。1年あまりの間に、よくもこれだけ書き続けたものだと自分でも感心している。(出来映えはともかく)何とか自力でホームページに記事をアップもできるようにもなった。また、ホームページの内部構成も少し分かり、ホームページの一部を自分が意図するように変更できるようにもなった。ただし、自力でアップしたものは見栄えが問題だったり、技術的に手に負えないことがあるため、管理者の二男によって瞬く間に修正が加えられている。自分の美的・芸術的センスや知識のなさを痛感している。
ところで、このホームページは誰に対して、何のために書いているのだろうか? ホームページを始めた当初は「若手研究者や一般の市民の方々に対して、研究の裏話やエピソードを紹介したい」と考えていた。ところが、記事が増えてくると、本来興味をもっていた「自然」に関するものや、「その他」大学教員としての経験や時事問題に関するものが多くなった。さらに、それらを誰に対して書きたかったのかと考えると、教え子や、現役時代の仲間や若手教員(研究者)、なかには小・中・高・大・学生時代の同級生や家族に向けているような気がしている。一般の市民の方々へ伝えたい時もあるが、圧倒的に知り合いに向かって書いているような気がしている。
私は現役時代、教え子に対して教訓めいた言い方をすることは避けていたつもりである。私の生き方や発言からそれぞれが感じ取れば良いし、その解釈もそれぞれで異なるのが良いと思っていた。ただし、教え子達はそうではなく、上から目線の圧力を感じていたのかもしれないが。時に「私の考え方と合わず師弟関係を続けたくないと思ったら、一刻も早く縁を切った方が良い。それがお互いの人間関係を良好に保つ術だ。ただし、私には生活があるので私が大学を辞めるわけにいかないから、君に他の場所を探してもらうしかない。」と伝えていた。ただ、希望者には次の研究室や分野へスムーズに移れるようにできるだけ手助けしたつもりである。また、自分の研究のために研究室に強引に引き留めようともしなかった。若いうちに別の指導者のもとでも研究することを勧めた。私は学生の頃から何度か石崎先生の研究室で実験を行い、同じ研究目的であっても別の考え方で実験を進めることを経験した。お陰で研究者として考え方の幅が広がったと考えている。また、学生の頃から数多くの年長研究者とも直接付き合った経験があり、そのことも自分を研究者として育ててくれたと思っている。そのため、共同研究先に学生だけを派遣して、私を介さないでその先生と堂々と意見交換し、影響を受けてほしいと思っていた。ただ、最初のきっかけやトラブルに見舞われた時は最大限尽力したつもりである。
ということで、このホームページの記事の多くは、「自分の教え子」に学生時代には口に出さなかったことを、今になって伝えているように思う。同じように家族に対しても自分の生き方や考え方を伝えたいのかもしれない。その内容が「若手研究者や一般の市民の方々」にも少しは役立つことを願っている。今は150タイトルの記事投稿を目指そうと思っている。