研究者を目指す若手へ研究費申請について何かのヒントになればと思い、自分の経験から感じたこと、考えたことを書き残そうと思う。なお、あくまでも私個人の経験と考えであることは最初に断っておく。まだ、書き足りないのだが、ちょっと長くなった。
2025年1月12日の「研究費−3」で「落ちても落ちても申請書を書き続ける必要がある」と書いた。「研究費を取ることは研究の一環なので申請書を書くのは研究者として当然」と考える人がいる一方で、「『研究そのもの』とは、『未解決問題を解決するために試行錯誤する時間』のこと。もちろん、科研費を取るための申請書作りが自分の研究を客観的に整理する機会になっているという面はある。だが、やっぱり申請書作成も雑務だ。」とコメントする人もいた。この違いは、研究費が採択された経験があるかどうかの違いではないかと考えてしまった。研究費獲得という成功体験は、研究者として生きていくためには重要なことだと思う。
若手研究者が最初に研究費を申請するのは「学術振興会特別研究員」の申請書ではないかと思う。かなりの数の大学院学生やポスドク応募者の申請書を添削したが、どこまで手を加えてよいか、いつも悩んでいた。というのは、この特別研究員の申請は研究内容だけではなく、応募者個人の能力評価という側面もあるためである。教員が細かく申請書を添削・加筆すると本人が書いたものではなく、教員の申請書になるような気がして、学生には感想を伝えるだけの場合もあった。ある学生に申請書を見せられた時、「良く書けていて、ほとんどの審査員から4点をもらえると思うが、満点の5点は付けてもらうのは難しいかもしれない」との感想を伝えたら、「どこをどう直したら5点をもらえますか?」と聞かれた。「分からない。ただ若者特有の勢いが足りないのかもね。」と応えたことがある。
申請書の書き方はどうやって学ぶのだろうか? 私は自分の学生やポスドクに自分の申請書作りを手伝ってもらうことにしていた。やはり、自分自身の申請書の方が思い入れが強く、申請内容のアピール点も明確だからだ。また、コンピュータグラフィックで不得意な図作りを手伝ってもらえると、とても助かる。手伝ってもらいながら、私がどのような点に気をつけているか、どこに力点を置くのか、どのように修正を加えていくか、学び取ってもらいたいと思っていた。決して具体的に教えないし、良い申請書に出来上がるかどうか分からないが、申請書を書き上げる途中段階を体験させることが重要だと思っていた。うまく採択されれば、成功体験になると考えていた。私は、指導教官の名前でいくつか申請書を書いて採択された経験があるが、自分の身分よりひとつ上のランクの申請書の書き方を学べたと思っている。それによって、独立した時に研究室を立ち上げ、維持するための研究費を自力で獲得することができたと思っている。
では、どのような申請書が評価されるのだろうか? 今はどうか分からないが、私が科学研究費の審査員をしていた当時は、採点に関してかなり細かい指示があった。総合評価だけではなく、個別観点からの点数評価や、コメントを書く欄があった。ところが、コメントは申請者にフィードバックされることはなかった。不採択になった申請者には重要な情報だし、採点者にとって一番時間がかかる作業を要求するのに、なぜしないのだろう? 私はコメントを申請者にフィードバックするように日本学術振興会へ提案したが、私が現役の時にはかなわなかった。今はどうなっているのだろう?
審査員の私は、まず申請書を一読して2つの山に分ける。約1/3の「採択希望」と約2/3の「不採択希望」である。次に、「採択希望」を詳しく読み、細かい点数評価ならびにコメントを書いた。「不採択希望」はその再確認と、点数とコメントを書くためだけに適当に読み直した。つまり、最初の段階で「不採択希望」になると、よほど他の審査員が高得点を付けない限り、不採択になっただろうと思う。どんな申請書を約1/3の「採択希望」に選ぶかというと、
(1) 一読して研究内容が理解できる。
(2) その研究者にしかできない研究である(本人の実績を生かしたものである)。
(3) 研究内容のどこかに面白いと感じる点がある(将来性、他分野への影響など)。
(4) 研究費の使用内訳、材料入手、実験許可などが十分準備ができており、実行可能な内容になっている(机上の空論、アイデアだけの思いつき研究ではない)。
「申請内容に対して専門知識がない審査員が評価するから採択されない」と考える研究者もいるが、その逆で、専門分野が近い研究ほど評価が厳しくなる。専門分野が少し離れていると「面白さ」を感じることが多い。ともかく、読みやすくなければ「面白さ」も感じない。審査員の多くはその研究種目の採択経験者で、研究の妥当性を正当に評価していると考える。利益相反課題にならないように考えてだと思うが、審査員には採択者だけではなく、不採択者にも機会を与えるべきだと私は思う。申請書を審査する経験が、良い申請書を書くために役立つと思う。採択経験者は、ひとつ上のランクの研究種目の審査の方が勉強になるかもしれない。それにしても、必ず見かけるアリバイ作りのような、いい加減な申請書を提出することは審査員に失礼であり、止めてもらいたい。
私は、どんなに忙しくても審査員の依頼は断らないことにしていた。他人の申請書を読むことは、自分が良い申請書を書くための勉強になるからだ。ある年配の先生が「他人の申請書を審査して何が楽しい。自分の申請書を審査してもらう方が楽しいに決まっている」と言われたことがあった。確かにその通りだが、私は4年前の小脳梗塞発症直後に後遺症の状態が分からないときに初めて審査員の依頼を断った。今は引き受けても大丈夫だっただろうと思っているが、もう依頼は来ないし、来ても断るだろう。

